中学受験は親の受験と言われます。確かに子供より親の方が熱心な家庭は多いです。結果を見ると、確かに教育熱心な家庭の方が子供の成績が良い傾向にあります。ただしそれは程度問題で、親が熱心すぎて子供が潰れるケースはたくさんあります。良い子は親の言うことを従順に聞きます。本当は嫌なことであっても嫌だと言えず、親の顔色を伺って勉強します。形だけは勉強していますが心が伴っていないため、物事に興味関心が薄いのです。それだと親の保護下にいる間は勉強しますが、親元から離れると勉強しなくなります。
本当に大事なことは、一生勉強し続ける人間になることです。大人になって気づいたことは、有名大学を卒業してもあまり賢くないな、と感じる人がいる一方で、学歴はなくても賢いな、と感じる人がいることです。その違いは、社会人になってから勉強しているかどうかなのです。社会人になってから勉強している人は、物事に対する興味関心が尽きません。視野が広く、頭の柔らかい人が多いです。一方、社会人で勉強しない人を見ると、勉強の楽しさを知らないままに社会人になったのかな、と感じます。
社会人になってからの方が人生は圧倒的に長いのです。学生時代だけ勉強すれば通用する時代はとっくに終わっています。昭和の教育は通用しないのです。教師や親は自分が受けてきた教育とは異なる教育を子供にする必要があります。そのためには教育についての勉強が必要になるのです。従来の教育を疑ってみることが大切です。
昭和、平成の中学受験は親の受験と言われていました。令和になって、果たして本当に親の受験なのかと疑ってみていいのです。親はプレイヤーではなく、あくまで教育者であり保護者です。塾の先生は、教育者であり指導者でありサポーターです。自分に与えられた役割をしっかり果たす事が大切です。教育について勉強する、安心して勉強できる環境を整える、勉強するとどのようなメリットがあり、しないとどのようなデメリットがあるかを教える事が親や先生の役割です。勉強しなさい、ということは単なる命令であって教育ではありません。教えていませんし育てていないからです。
どうすれば子供が自ら勉強するようになるのか、と問いを立ててあらゆる教育に関する本を読み試行錯誤していくことで良い教育が出来てくるのです。お互いに焦らず、諦めず、止まずに日々勉強をしていきたいですね。
今日はここまで。読者に幸運が訪れますように。